フツウじゃツマラナイ!!
ようこそヘンテコビアマグ博覧会へ!!
最終日でした。
夢狂作
ゾウさんのカップ…
懐かしいです。
後で掲載します。
すとろべあ🐻さんです。
名古屋城に辿り着くまでのことを想うと
父は私に試練を与える人なのか…なんて苦笑い。
写真の作品は父がモチーフ。
窯詰め、焼成、窯出し全てハプニング続出。
子供の頃だと困ったのは父の日の似顔絵。
思い出はあるのに
気持ちが追い付かなくて。
今はあの頃を越えて父の絵も制作出来そうです。
秋の毛の羽繕い頑張らなきゃ。
頭のツンツンした毛はゆきにも手伝ってもらってふわふわ💛
お留守番は寂しかったよ!
あおいにはかきかきをいっぱいしながら🐻ちゃんを🎁
一目惚れのあおいの姿…
イチゴべあちゃんに何度も歌を歌うのでビックリ…
あおいは人間の女性も判別出来、気に入ると懐いてしまうのです。さびし~
お久しぶりです☀僕あおいちゅん!
ゆきはあれから名古屋へ…
その間ちょっとイメチェン💖
ぼくも金髪に挑戦だよ。
そんな事していたら
ゆきの方は大変なことに…
その日は事故、渋滞、天候変化も重なって
予定の時間から大幅に離れていたんだ。
バスの中ではベトナムの方と知り合いに。
名古屋で面接が予定されていたその方には
お守り代わりに持っていた
蘇生の絵を贈ったゆき。
無事着いたこ頃は☀お日様が待っていました。
蘇生の絵はベトナムの方も興味を持って見てくださいました。手の調子も一旦崩したりと
始まりは不安定な名古屋行きでしたが
今思うとお守りとして絵を持って行ったことで
心強くもあり
思わぬところで作品解説もすることが出来
とても嬉しかったです。
小鳥のような名前だったベトナムの方。
不安な時を一緒に越えられて感謝です。
些細なことから痛めた手が回復し
ほんの少し名古屋で父の想いに触れる予定です。
次も60号を描きます。
自分のために生きる大事な時間にし
次の作品の力に変えます。
不器用だからこそ
描くこと言葉で伝えよう、
色々な方法で表現しようとする。
私の作品は考えて想像してその繰り返し。
作品がずっと残るなんて
きっと夢のようなことだから。
蘇生で描いた女性…
愛らしく可愛い人で
可憐な美しさと
精神的な人への思いやりを感じ
その場にいたらきっと
抱きしめたくなる感じでした。
人との繋がりを大事にし
家族の幸せを想って
命の一番大事な時に見せる優しさはこちらが思うほど簡単な作業ではなかったはずだから…
旅立ちを知った日
一瞬時が止まった感覚になり
それから片方の瞳から涙が。
苦しかったろうな
最後まで想い続けていたんだな…
命の危機の時どれだけ他に優しく出来るのだろうと考えます。
幼い頃描いたパンダのお面。昔からパンダ大好き。
劇でパンダの役。
姉がバザーでパンダのぬいぐるみをプレゼント。
このパンダは楽しそうに笑っている様子。
笑顔を職業とする人がいて
様々な病気によって笑顔が作れない人もいる
不安や否定的な気持ちを消す魔法の笑顔
悲しみ、怒りを安堵に変えるための笑顔
見えない感情を想像しながら絵にします。
人は時と場合によって色々なお面をつけ
様々な気持ちと葛藤しているのかもしれない。
夢狂さんの影響もあり変装に抵抗はなく
こんな感じの写真も。
ある日のこと知人から
私が長年怒っていることの原因を
尋ねられた夢狂さん。
二度怒らせたときが怖い。
二度と話さなくなってしまうほど
無い存在として過ごす。
原因は他者から与えられたとしても
じっとほほ笑んで耐え、
笑って過ごす事から気づかれない怒り。
自分としては面倒な怒りは封印して生きるようにしています。
親戚と暮らしていたころ
綺麗、可愛いなど褒められたら
ありがとうというんだよと教わりました。
実際、否定的に思うことが多くても
とりあえず感謝という気持ち。
また、同時に言葉のまま受け取ってしまわないようにと
きつく教わり、
今までこちらの方が根強くある気がします。
とは言っても…美しいと感じる人を見て
褒めてしまうのは画家としての大事な一面だと感じます。
サヌーとアナムール。
サリーの衣装は緑にしました。
可愛いお子さんとの一枚。
『可愛い』は
テーマでもあるのかもしれません。
私の場合、安心、ほっとする印象。
童心など可愛いという気持ちになります。
また、丸い、柔らかい、小さな、など
考えたらまだまだありそうです。
それぞれの可愛いは
自由な気持ちで良いのだと感じています。
今年初め綺麗なお姉さんとして掲載。
綺麗って客観的なことがほとんどかもしれません。
写真を撮る前、
たくさんお話出来て楽しかったんです。
性格も棘のない方で
もっと仲良くなりたいという気持ちに自然となります。
人から見て恵まれている様子ですが
それゆえ海外で暮らすしかない時もあった。悩みながらも懸命に生きてきたのだと察します。当時を思い出されて写真のこと一瞬ためらったのですが
『今はきっと昔みたいなこと起きないとおもうから…』と
ニコッと了解してくださいました。 今思ってもあったかく、ありがとうという気持ちです。
この姿は最初はグーグルの限定で出して
自分との違いを面白く捉え掲載。
限定でも指で数えるほどで
一人など少ない範囲。
色々書きましたが内容は巡り巡って
望まない形で横流しされていた事も
多々あったのかもしれません。
ファーストフード店にこの姿で行ったのですが
以前アンケートを頼まれ
アンケート内容にチェックを
目の前で入れられ
ここにもマルをつけてと強く言われ
引いてしまいました。
店員さんでも人として親しみやすく接する方なので
行き過ぎたとは思わなかったのだと感じます。
挨拶も委縮するほど怖い方になってしまいました。
理解者は夢狂さん。
二人展を開始したころ
散々でした。
家族のこと容姿のこと
人が見ている前でこれでもかと罵倒。
作風が変わっていたからなのか…?
広い視野でみれば良いのですが
写実、デフォルメ、もっとシンプルなデザインなど
好みにより見解が異なるからだと感じます。
また、当時とてもなつっこい性格で
挨拶しながら親しみを持って話しかけたことも
画家では珍しく敬遠されたのかもしれません。
勉強になった悲しい思い出。
暑いと思う夏。
けれど
『あたたかい日』という夢狂さん…
冬は涼しいね…
外で暑い日にあたたかいですね~
というと苦笑いでちょっとした会話も。
自分で言ってみるととユーモアでした。
四季はそれぞれとらえ方も感じ方も
違うものだなぁと思います。
8/6日、ゲルニカの絵画をふとした時に見かけました。
翌朝、
『甘い…洋楽』を思い出し調べると
『パイプを持つ少年』も音楽のモチーフに関連。
甘いっ甘いっと連呼する曲。
自分でも
あまいって曲が流れると合わせてしまうという。
日本語の甘いに聞こえるだけで実際の意味は違う。
ただ、『あまい』は強烈な印象。
ピカソの絵画と関連していると気づいたときは驚き。。
暑い・あたたかい、
寒い・涼しい
甘い・たぶん?
そんなわけで…
あおいにかじられても
くすぐったいってことにしました。
酉年もよろしくお願いします。
魚のお医者様に角質ケアしてもらいました。
窯焚きで酷使した手のために。
2016年もヨロシクお願いします💖
桐生が岡動物園
2013年シロは椿の花が咲く頃旅立ちました。
捨てられ辿りついた最後の場所だったようで
最後を看取りました。
病気で手放したのか…詳細は想像するのみ。
人や生物がそれぞれの習慣の中で
共存していくというのは課題も多く難しい。
短い季節人間を信じて疑わなかったシロは
自分のことを人間だと思い込んでいたようです。
きっともとの場所で過ごした日々もかけがえのない
素晴らしい時間でした。
ごめんね。
そしてありがとう。